ヴィパッサナー瞑想?何それ?

横文字の仏教用語を聞いたとたんに、他のごくごくフツーの日本人と同じように胡散臭さを感じてしまいます。

東南アジアに行くと、仏教が日常生活に深く根付いているのを実感しているのにね。
毎月のようにプッタランシーに行って、見様見まねで一緒にお経を唱えているのにね。

そんな中、プッタランシーで親しくさせていただいている方から、「タイ政府公認の仏教伝導僧・チャーンチャイ師が日本に来ているので、瞑想会に参加しませんか」とのお誘いを受けました。

 

う~ん、率直に言うと自分には一生縁のない世界だと思っていたので、

タイの仏教文化としての興味・好奇心 25%
瞑想することで何が変わるのか疑問 25%
こういう世界に足を踏み込むこと・周りから変な目でみられないか不安 50%

積極的に行く理由が見つからないから断ることも可能だけど、主催者も手ほどきしてくれるお坊さんも身元がはっきりしているので、変な道に引き込まれることはなさそうだしーーーーー。

ちゅーか、ヴィパッサナー瞑想ってどういう瞑想なんだろ?

 

ヴィパッサナー(VIPASSANÂ)は、お釈迦さまが、我々に確実に悟りを体験できるように教えられた実践方法(修習,瞑想)です。二五〇〇年もの歴 史を通じて、テーラワーダ仏教(上座仏教)の長老たちによって守られ、今日まで連綿と伝えられてきた、誰にでも簡単に実践できる、とても合理的な「こころ を育てる」方法です。みるみるうちに心が成長していく過程を、ぜひご自分で試してみてください。

ヴィパッサナーの実践法は、とてもシンプルです。ただ、今の自分に気づく。そこに、深遠な世界が広がってくるのです。パーリ語でvi ヴィとは「ありのままに・明瞭に・客観的に」、passanâ パッサナーとは「観察する・観る・心の目で見る」という意味です。「今この瞬間の自分自身をよく観る」ということです。瞬間瞬間に起こる、思い込みやしがらみを理解できるvipassanâ ヴィパッサナーは、「気づきの瞑想」や「洞察の冥想」ともいえるでしょう。

 

ヴィパッサナーは、一つの型にはまった瞑想法ではありません。特別な世界に到達したり、人と違う超越的な力を得るためのものではありません。ま た、なにかを信ずるという宗教でもなく、イデオロギーや主義でもありません。あらゆるとらわれや執着から生まれる悩み苦しみを離れ、苦を超える方法なので す。普通の生き方と変わった行法ではなく、日常の生き方そのものに智慧の光を照らしてみることです。

 

ヴィパッサナーは“今という瞬間に完全に注意を集中する”実践です。何をしていても、“今・ここの自分に気づいていく”こと。それが、ヴィパサナーです。自分を客観的に“よく観る”のです。

 

今ここの一つ一つの瞬間に意識を向ける。心地よいことでも不快なことでも、ありのままの体験を価値判断しないで、そのまま観るのです。葛藤を シャットアウトしたり、コントロールしようとして新たな問題を作るのではなく、ただ気づくだけ。それが観るということです。それが苦悩を超える道です。安 らぎが訪れ、心と体を癒すことになるのです。波立っている水面が穏やかになってすべてを映し出すように、深い智慧と洞察力が生まれてくるのです。

 

ヴィパッサナーは自分の内部から、自分の一つ一つの瞬間の体験から、学びとるものです。未来に理想を描いて、そこに到達するために努力するのではありません。確実な“今・ここの私”を徹底的に掘り下げようというのが、ヴィパッサナーの実践です。

日本テーラワーダ仏教協会HPより

ふ~ん、瞑想って意識を無にしてうんぬん~、って勝手に思っていたけど、座禅とは全く違うのね。
ちなみに、テーラワーダ仏教って?

仏教は、今からおよそ2550年前、お釈迦様(釈迦牟尼仏陀)によって啓かれ、時代の流れとともに、さまざまな流派に分かれて全世界へと広がってゆきました。中国・チベット・朝鮮半島や日本には、お釈迦様の死後数百年経って成立した北伝の仏教(いわゆる大乗仏教)が伝えられました。一方、スリランカ・・ミャンマーなどの出家教団によって継承されている南伝の仏教をテーラワーダ仏教と呼びます(他に初期仏教・上座仏教・上座部仏教、根本仏教・原始仏教などとも云われます)。

釈迦牟尼坐像(ゴータミー精舎本尊) テーラワーダとは、パーリ語(古代インドの言葉)で、“thera”長老の“va^da”教え、を意味します。テーラワーダ仏教は、お釈迦様の時代から完全に近い形で残されたパーリ語経典に基づいて、多くの比丘(釈尊の教えを実践し、修行した出家僧)と在家信者たちの努力により、二千五百年間の長きにわたって実践され受け継がれてきたお釈迦様の根本の教えなのです。

日本などいわゆる大乗仏教の諸国では、お釈迦様の初期経典に説かれたヴィパッサナーなどの実践方法が伝わってきませんでした。そのために思弁哲学の学問仏教、あるいは現世利益信仰や儀式儀礼の呪術的宗教になってしまった面もあります。テーラワーダ仏教はいわゆる「小乗」とも「大乗」とも無縁です。ただお釈迦様の説かれた教えとその実践方法の一つ一つを、当時のまま、今日まで伝えてきた純粋な体系なのです。

日本テーラワーダ仏教協会HPより

ま、早い話、タイ仏教のことか。

 

瞑想会に来る人は本当ごくごくフツーに純粋に瞑想とか仏教に興味を持っているだけなんだろうし、これからもプッタランシーとお付き合いがあるだろうから・・・・、と重い腰をあげて23日の瞑想会に参加してみました。

 

参加者は10名ちょっと。

チャーンチャイ先生は、横文字を使った仏教の教えを説くわけではなく、ただ瞑想の意義とテクニカルな部分を教えてくださいました。

といってもある意味単純な言葉で説明してくれるので、逆にその語句の定義を考えると、かなりややこしかったりするのですが。


30年ほど前に国費留学生として日本で学んでいたので日本語が堪能

瞑想する中で特におっしゃっていたのは、「気づき」

初心者が5分程度の瞑想を1日に数回やってみたところで、毎日実践しているようなお坊さんの「気づき」の感覚には到底及ばないんでしょうけど、静かに自分を見つめなおす時間を作りましょう、その方法として瞑想は有効なのです。ということかな?


ソラダーさん(プッタランシーの事務局長)のお話

ま、1日タイクツすることはなかったのは確かだけど、では有意義な1日だったか、というとそれもどうかと・・・・。

自分を見つめなおすということは悪いことではないので、今後は意識的にそういった時間を設けてみるのも悪くありませんが、1つ言えることは、こういった踏み込んだ世界を知りたいのかどうか、自分ではまだ答えが出せない、ということでした。

とか言いつつ、来週もプッタランシーに行って、手を合わせてくるけどね。
お昼ご飯を食べに(爆)

「ただいま迷走中。」に2件のフィードバックがあります

  1. ヴィパッサナー瞑想とは、全く関係ありませんが・・・

    今年はプミポン国王の在位65周年と御生誕84周年の年ですね。
    記念時計たくさん出そうですね。

    1. ちょっと(いやかなり)期待していますが・・・・、どうなんでしょうね?

      ヤワラーで親しくなった時計屋のご主人から、限定時計がリリースされ次第メールくれることになってます。
      時計貯金始めとかなきゃ(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。