もう80歳を超えた現役Jazzマンが、自らのバンドを解散させるツアーで全国を周る。
ビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」が結成してから、57年。
昨日、「原信夫とシャープス&フラッツ ファイナルコンサート 2008−09」を見に、東京文化会館に行ってきました。
原信夫は、綾戸智恵のライブCDで共演していたことでその名前を知ったくらいで、初めてお目にかかったのは、2006年の上野Jazz Inn、「原信夫とシャープス&フラッツ&Keiko Lee」としてトリを飾っていた時でした。
ビッグバンドと言えば、Thrillとかスカパラ(スカパラはビッグバンドか?)、そういえば、東京パノラママンボボーイズを見た時もビッグバンド形式だったかな~?なんて程度の知識しかありませんでしたが、上野で見た原信夫とシャープス&フラッツは、戦後の日本のJazzを彷彿とさせる、だけど自分にはなんだか新鮮に感じる、そんなバンドでした。
そんな原信夫がファイナルを迎えます。
今更ながらですが、日本のJazzを牽引してきた第一人者が演奏活動の第一線から退くって聞いたからには、観にいかないわけにはいきません。
実は、母親に何かの拍子で、「原信夫とシャープス&フラッツのコンサートに行くんだよ」って話したら、
「えーーーっ!原信夫はお父さんとお母さんが初めてデートした時に行ったコンサートだったんだよ」
うちの両親がデートしていた頃なんて・・・・、もう40年前?それを聞いて古いころから活躍しているんだな~って改めて思ったものです。
たまたまとれたチケットは、1階、1列、23~24番。
ステージが目の前、ど真ん中の席です。
上野のCOCAで腹ごしらえした後、会場に入ります。
やはり多いのは、(ちゅーか見渡す限りほとんど)自分の親世代。昔、よく聴いてたりしたんでしょうね。
「A列車で行こう」から始まり、「ブルース・オン・パレード」、クインシー・ジョーンズからもらった楽曲「白夜のセレナーデ」など、第1部を「ウエスト・サイド・ストーリー」で締めくくります。
第2部、「梅ヶ枝の手水鉢」「古都(琴)」など日本の要素を取り入れたJazz(60年代に、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに招待されたときに持っていった曲)を演奏し、「真っ赤な太陽」「恋のアランフェス」(寺井尚子と一緒だとこのまま「スペイン」になるんだろうな~)など。
そうそう、原信夫さんは、「みなさん若いから、ご存じないかたも多いだろうけど・・・」って前置きしながら、次に演奏する曲について丁寧に紹介してくれるのですが・・・・・、そりゃ、原信夫さんからすれば、お客はすべて若いんでしょうね。けっこうお茶目なMCです。
ただ、MCのところどころに見えかくれする「年寄る波には勝てない」ふるまいが、ちょっと痛々しい感じがしないわけでもありませんが、
それでもスーツをきっちり着こなし、ステージの間はずーっと立ち続けて、演奏し続けているその姿は、80歳を超えているようにとても思えません。
演奏している姿はかっこよすぎます。
そして、「Sing, Sing, Sing」で締めくくったあとの止まない拍手。
原信夫さんもその惜しみない拍手の波に目頭を熱くしておりました。
最後、アンコールに、「小さな世界」で締めくくってステージを後にしましたが・・・、
その後ろ姿を見ながら原信夫さん、これまで日本のJazzを牽引してくれてありがとうございました!って本当に思いました。
素晴らしい演奏でした!
自分が82歳の時には何しているんだろ?
- 自分の核となるものを持って、前向きに過ごしているんだろうか?
- それとも、生気のない老人として余生を過ごしているんだろうか?
そもそも、その年まで生きていることができるんだろうか?
[第1部]
1.A列車で行こう
2.ブルース・オン・パレード
3.ワン・オクロック・ジャンプ
4.リズムの芸術
5.白夜のセレナーデ
6.すみ絵
7.ウェスト・サイド物語
[第2部]
1.それで満足
2.林檎の木の下で
3.梅ヶ枝の手水鉢
4.古都
5.真っ赤な太陽
6.帰れソレントへ
7.恋のアランフェス
8.シング・シング・シング
[アンコール]
1.小さな世界
One thought on “さよなら、原信夫。”