4日目。
今日は観光のあと、夜のフライトでバンコクに戻ります。
今日のルートはカンボジア名でプレアヴィヒア(タイ名でカオ・プラ・ウィハーン)→コーケー遺跡群→シェムリアップ空港です。
ということで出発前に宿をチェックアウト。
オールドマーケットにも近いしリーズナブルでいい宿でした。またシェムリアップ来ることあったらここに泊まろう。
8時にSopheapの車でプレアヴィヒアへ出発。
プレアヴィヒアは過去にタイ側から何度か来たことがある場所。最後は2007年12月。
その後、領有権を巡るドンパチで、現在はタイ側からアクセスはできず、カンボジアからのみアクセスできるようです。
プレアヴィヒアの麓で専用トラックに乗り換え山頂へ(ゴールデンロックみたいだ)。
お昼前に到着しました。
思ったより時間かかったなーーー。
お昼の日差しは強いうえ、彫刻の陰影も上からになるし、空と建物のコントラストも極端になりやすいので、できれば避けたい時間帯。
なので、2007年の時はカンタララックに泊まって朝早い時間のカオ・プラ・ウィハーンに行ったんだもんな。
まあ仕方ない。
次来るときがあったら、プレアヴィヒア玄関口であるスアラムという町で泊まることにしよう。
さて、プレアヴィヒア。
カンボジア・タイ国境にあるダンレク山地内のカンボジア領内(プレアヴィヒア州)に位置するヒンドゥー教寺院。9世紀末にクメール人によって建設され、11世紀に増築されたとされる。
9世紀にクメール王朝によって創建された時はヒンドゥー教のシヴァ神を祀る寺院であった。プレアヴィヒアにおける建築で現存するものの中では、10世紀初期のコ・ケー時代のものが最古である。プレアヴィヒアは数世紀にわたって増改築が重ねられ、10世紀末期のバンテアイ・スレイ様式も残っているが、今日目にする寺院建築の大半は、スーリヤヴァルマン1世(Suryavarman I : 在位 1010-1050年)とスーリヤヴァルマン2世(Suryavarman II : 在位 1113-1150年)に増築されたものである。
ヒンドゥー教がこの地域で衰退すると、プレアヴィヒアは仏教寺院となった。
プレアヴィヒアの帰属はカンボジア・タイ両国の長年の懸案であったが、1962年6月15日に国際司法裁判所によりカンボジア領であると認められた。
2008年に世界遺産登録に登録。
2008年7月中旬、タイ人3名がプレアヴィヒアに不法侵入したとしてカンボジア側が拘束されたことを受け、タイ側が軍隊を派遣。それに対抗するようにカンボジア側も軍隊を派遣し、睨み合いが続いた。
2009年2月10日、タイはプレアヴィヒアのタイ側の入り口であるカオ・プラ・ウィハーン国立公園を非公式に再開した。プレアヴィヒアへの立ち入りは不可能であるが、タイ側からその姿を見ることは可能である。
2011年2月4日以降、同寺院をめぐってカンボジア王国軍とタイ王国軍が交戦状態となり、避難民が数千人発生し、双方に民間人を含め数十人の死傷者が出た。報道によれば、最初の2日間で、タイ側に兵士1名・市民1名、カンボジア側に兵士2名・市民1名の犠牲者が出たという。軍事的な緊張状態はその後も続いていたが、9月にタイ首相のインラック・シナワトラらがカンボジアを訪問し、紛争解決に向けて動き始めている。
2013年11月には寺院周辺の4.6km²の帰属未確定であった土地についても、国際司法裁判所はカンボジアに帰属するとの判断を下している。
それ以来、領有権に関する小競り合いは鎮静化しているようですが、タイ側に向いた塹壕と、タイ側から来ることができなくなった(閉鎖された)参道の階段を目の当たりにすると、争いが終わったわけでは無いことがよくわかります。
観光客はほんのちょっと。まあ、アクセス悪いしね。
境内から見るカンボジアの大地は雰囲気が変わってました。
貯水池ができたり、手前の道路沿いには麓から山頂に来るための乗り換え&チェックポイントも見えます。
境内の一角にはアンテナがそびえたカンボジア軍の小屋も立っていて、領有権に関して一歩も引かない意思を示しているようです。
とは言うものの、境内にいる兵隊さんは我が家の写真を撮ってくれたり、スマホの翻訳機能を使ってコミュニケーション取ってくれる、いたってフツーのカンボジア人の若者でした。
ちなみにタイ側に向けていた野砲は撤去した、とのことです。
ここまで来るのに4時間かかったということは、(シェムリアップではなくシェムリアップ空港の違いはあるとは言え)帰りもほぼ4時間?
何となく時間を気にしつつ回って、遅いお昼を食べてから麓へ。
只今14時半。
これからコーケー遺跡行くにしても時間配分、大丈夫かなー?
Sopheapに聞いてもあまりぱっとしない返事。
まあ飛行機は22時過ぎだから遅くても20時頃には空港に到着すればいいんだけど。
ということでコーケーへ。
到着したのは16時すぎ。
遺跡は17時か17時半までなので、チケットブースも閉まる直前みたいです。
いずれにせよ、急いで回らないと。
遺跡が閉園するだけでなく、飛行機に乗り遅れちゃったら目も当てられん。
コー・ケー(Koh Ker)は、カンボジアのプリアヴィヒア州にある考古遺跡群。10世紀前半、ジャヤヴァルマン4世(Jayavarman IV : 在位 928-941年)によって、それまでの都ヤショーダラプラ(アンコール・トム)からチョック・ガルギャー(Chok Gargyar)と言う名称の首都に遷都し、ジャヤヴァルマン4世とその息子ハルシャヴァルマン2世(Harshavarman II : 在位 941-944年)の治世までは王都であったが、944年に従兄弟(いとこ)のラジェンドラヴァルマン2世(Rajendravarman II : 在位 944-968年)に王位を奪われ、10世紀半ばに再びヤショーダラプラの地に都が戻された。
ジャヤーヴァルマン4世のコー・ケーにおける統治約20年のうちに、巨大な貯水池(バライ)とともに都城が造成されていった。バライ周辺に多くの寺院が点在するなど、60基ほどの建造物が認められる。中心複合寺院プラサット・トム (Prasat Thom) の西側にコー・ケーを象徴する高さ35メートルの7段ピラミッド型寺院プラサット・プラン (Prasat Prang) がある。
Prasat Krahamから入って
Prasat Thomを抜けると
ピラミッド型寺院のPrasat Prang
一番上に登ると、あたり一面ジャングル。
昔はここを中心に拓けていて、人々の暮らしがあったのかな。
最後にここも見ていくといいよー、ということでPrasat Pram
コーケーのハイライトだけササッとまわって来た感じだけど、マップを見ると遺跡群だけあって、他にも沢山寺院がありそうです。
なので、次回はここだけで1日滞在するのもありかも。
車に乗るころは17時半過ぎ。急いで空港へ。
19時ごろに空港到着
Sopheapはこれまで一番スピードを出して帰って来た、って言ってた(笑)
さて、この4日間で363ドルでお願いしたけどサービスも良かったし(最終日は水のペットだけでなく缶コーラまで)また来た時は彼にお願いしてもいいなー、という意味のチップも含めて含めて400ドル渡してきました。
まあ、大回り、小回りで1日15ドル程度の収入なので、4日間で400ドルなら結構な額なんだろうね。
子供が3人いるって言ってたから、養育費にでも充ててね。
この10月中旬に開港したばかりのSiem Reap Angkor International Airport。
開港したばかりなのでとってもきれいなのは言うまでもありませんが、中国のODAで建設されただけあって、中国語の表示にちょっと違和感があります。
お店の数はまだ少なく、これから出店が増えてくるのかな?
夜遅い便のせいかあまりお客さんはいなかったけど、これからもっと多くの飛行機が離発着するようになり、更に観光客が押し寄せたらアンコールワットとかすごいことになりそうです。
バンコクに帰って明日はチェンマイです。
さて、今回の旅行で一番心配していたこと、それはトイレ。
というのも潰瘍性大腸炎が再燃してから1年以上。だいぶ落ち着いたとはいえ、もよおすとすぐにトイレに駆け込む必要があり、あの広大な遺跡を観光中、郊外を移動中に万が一そうなったらどうしよ?ってジップロックにトイレットペーパー1ロールとウェットティッシュ、消毒スプレーを入れた「どこでもおトイレセット」を常にバッグに入れて旅行に出発したのですが、
旅行に出たとたんピタっと止まって、「あれ?なんで止まってんだろ?このタイミングで寛解?そりゃうれしいけど・・・」って、口に出すと元に戻っちゃう気がしてずーっとヨメには伝えていませんでした。
が、トイレで一番難儀すると思われたカンボジアを無事に乗り越え、あとは町中の観光で、それほどトイレを心配する必要が無くなってようやくヨメに「旅行に出てから症状止まってる」って伝えたら、「ずーっと旅行に行けてなかったからね。旅行に行けて体が元通りになったんだよ」って言ってた(笑)
ちなみに、アンコール遺跡にそれぞれ完備されているトイレは、スタッフが常駐し、いつでもきれいなトイレだったので本当びっくり。
高い入場料だけど、遺跡の保護、観光客への安全配慮、そして衛生面まで、訪れる人々を快適に過ごしてもらうための支出に使っているのがよくわかりました。