3日目。今日から郊外の観光です。
ということで今日は車。
シェムリアップで凄いと思ったのは、ランボルギーニやポルシェも見たけど、何より100台に1台くらいはLexusってくらいたくさん走っており、そんなにこの村は潤ってんだ~!って感じ。
なお、Sopheapの車は左ハンドルの昔のカムリでした。
今日のルートはバンテアイ・スレイ → クバール・スピアン → ベンメリア。
バンテアイ・スレイとクバール・スピアンは何度か行っているけど、ベンメリアは今回初めて。
車は8時半頃出発し、9時半にBanteay Sreiに到着。
バンテアイは砦、スレイは女で、「女の砦」を意味するヒンドゥー教の寺院。赤い砂岩で精巧で深くほられた美しい彫刻が全面に施されている。
967年、ラジェンドラヴァルマン2世(Rajendravarman II : 在位 944-968年)が臨席する下で着工式が行われ、息子のジャヤヴァルマン5世(Jayavarman V : 在位 969-1001年)の代に完成した。
到着してびっくり。
昔はデコボコで舗装されてない道を数時間走ってようやくたどりついたのに、今では舗装された2車線道路でシェムリアップから車で1時間少々で到着。
しかも入口の前に小さい掘っ立て小屋のようなお土産屋が数件並んでただけだったのに、今では大型観光バスが何台も収容できるような駐車場と大きなアーケードもある場所に変わってました。
時代は変わるもんだー。
ここで書き残して置きたいのは、初めてカンボジア、シェムリアップを訪れた1994年11月当時の状況のこと。
アンコールワットに行こうと思ったきっかけは前年、93年の夏、マレーシアのバタワースからバンコクに戻る夜行列車で自分の対面に座った人がカンボジアのUNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構:93年5月のカンボジア総選挙選挙により憲法を制定し、政府を設立するまでの間、暫定的にカンボジアを統治するために国連によって作られた組織)を終えて東南アジアを旅しているポルトガル人。
UNTACの仕事やカンボジアがどうなっているかなどの話を聞いて、あー、自分もカンボジアに行ってみたいな、って思ったのが始まり。
でもその時はまだクメール・ルージュが活発に活動していて、翌94年は3月、4月、6月、7月末と立て続けに外国人がクメール・ルージュに殺されたりするニュースが断片的に流れていている時代。
KHMER ROUGE ATTACK TRAIN IN CAMBODIA
Khmer Rouge kill three hostages
「これらはシェムリアップ以外で発生している。シェムリアップのような観光地は、カンボジア国軍が威信をかけて守っているはずだから大丈夫。」という不確かな思い込みで11月に行ってみることにしました。
バンコクからプノンペンに飛行機で入り、プノンペンからはトラックでチノックトゥルー(Chnok Tru:93年3月にNHKの取材班がボートに乗って取材中、銃撃された場所)まで行き、ボートに乗り換えてトンレサップを横断してシェムリアップに。
日中のBayonもほとんど観光客いなかったけど。
2日間でアンコールワット周辺と、ロリュオス遺跡群を観光。
プノンペンに戻ってS21 (トゥール・スレン)とキリング・フィールド (チュンエク)など。
結果として滞在中に危険な思いをすることが無かったものの、プノンペンからバンコクに帰る飛行機には、この7月にプノンペンからシアヌークビルに向かう列車の襲撃で拉致され、後の開放交渉の決裂でクメール・ルージュに殺されたイギリス、フランス、オーストラリア人のバックパッカーの棺と一緒でした。
Bangkok Post – Australia cleared over Khmer Rouge kidnap murder
さらには、1995年1月にシェムリアップからバンテアイ・スレイに訪れようとしたアメリカ人女性が武装集団の待ち伏せに会い殺されたり、
U.S. Woman Touring Angkor Wat Killed; Guerrillas Suspected
カンボジアを訪れる外国人観光客がほとんどいない中、外国人が標的になるニュースが目立っていた時代。
そんなバンテアイ・スレイがこんなになるなんて。
いずれにせよ、境内の内側には入れないばかりか(20年前も同じだったかも)、大型バスで乗り付けたであろう団体観光客の後に続いて拝観ルートを巡るのはちょっとストレスでした。
最初行ったときは何の制限もなくて、好きなように歩き回れたのになー。
混んでる美術館のように落ち着かない雰囲気の中まわってきましたが、もう少し落ち着いて写真を撮りたいな。
まあ、9時半という時間帯はもしかしたらそれほど混む時間帯でもなかったかもしれないけど、次行くとしたら7時出発、8時到着でもいいな。
川床や川岸に刻まれた一連の石の彫刻により構成されたクバール・スピアン(Kbal Spean)はアンコール遺跡群から25キロメートル北方のストゥン・クバール・スピアン川(英: Stung Kbal Spean River)に沿って存在する。
残存する彫刻は、スーリヤヴァルマン1世(Suryavarman I : 在位 1010-1050年)の治世時代に始まり、ウダヤーディチャヴァルマン2世(Udayadityavarman II : 在位 1050-1066年)の時代に終わる。
この日、唯一の歩き。
駐車場から彫刻のところまでは1.5kmほどのハイキングコース。
背中がたまにグキッて痛くなるので、ちょっと歩きづらい部分もあるけど、見に行くぞ、と。
NDフィルタと三脚持って来ればよかった。0.5秒が限界。
汗をかいた後の水は気持ちいい~。
Sopheapも久しぶりだったのか、一緒に行ってきました。
ベンメリア(Beng Mealea)はシェムリアップ州スバイレオ郡に位置する寺院。
碑文はなく、年代の比定には諸説あるものの、図像や装飾美術・建築様式などから11世紀末-12世紀初頭の建築とされ、12世紀前半のアンコール・ワット(1113-1145年頃)の造営より20年ぐらい前に、アンコール ワットの試作として設計・建設されたといわれるが証拠はない。
装飾や建築は、総じてアンコール・ワットと同年代ないしやや後のものとする見方もある。
ヒンドゥー教寺院として建造され、ヒンドゥー教神話をモチーフとした浮き彫り装飾などが多く確認できる。建立はスーリヤヴァルマン2世(Suryavarman II : 在位 1113-1150年)を中心に先代の王など複数の王によるといわれる。ただし、王が建立を直轄したアンコール・ワットに対して、ベン・メリア寺院は地方の長や有力者らが建立した地方寺院であり、アンコール地域の影響を受けながら、それぞれの時代の建築・装飾様式を取り入れたものとも捉えられる。
今回初めて訪れる場所。
切り出した岩がゴロゴロ転がっていて、手つかずな廃墟な感じはあるものの、1つ1つが大きくて繊細な感じがしないばかりか、歩道を歩かされるだけで肌で感じるにはちょっと距離があり、どうも大味な感じ。
大雑把な印象から「アンコール・ワット(1113-1145年頃)の造営より20年ぐらい前に、アンコール ワットの試作として設計・建設されたといわれる」って説はありえそう。
でも、アンコール王朝から離れた場所であり「王の直轄ではなく地方の長や有力者らが建立した地方寺院」ってのも納得。
どうやらラピュタのモデルになった場所で有名らしいのですが、どうしてみんなそんなフィルター越しに見に行くのかなー?(この遺跡が知られるようになったのは、映画公開よりも後らしい)
ということで今日の観光は終了。
車ってラクチンだー。
それにしても相変わらず固まった背中を動かすときにビクッと痛くなるのが困りものだけど。
オールドマーケット周辺の通りでは、大晦日のカウントダウンの準備が始まってました。
シェムリアップのカウントダウンもそのうち見てみたいな。
そうそう、この年末にHMGNCのDinaが再び日本にやってきました。(今年家族で来るのは3度目!)
我が家が旅行に出たのと入れ替わりだったので会うことができなかったけど、せっかくなので、手配をサポートしてあげた北海道で温泉旅館(貸切温泉の宿!)にスナックの箱詰めを送っておいたところ、
ってメッセージが来ました。
宿にチェックインしたら、「お荷物が届いております」って言われたんだろうな(笑)
そのあと、箱を開けるときの動画も届きました。
楽しんでもらえて良かった、良かった。