単身赴任7年目。
来年あたりにもういい加減、東京に戻されるであろう予感があるので、行っとかなきゃ、野馬追。
周りの人に話を聞くと、「暑いよー」とか「混むよー」とか。
まあ、それはわかっているつもり。
あとは、宵乗り(1日目)は各集落(郷)で開催されるらしいので、どこに見に行くか、どういった写真が撮れるのか、まあ、それは行ってみないと分からないか。
ということでまずは野馬追のこと調べてみると、
相馬野馬追は、1000年以上も続く重要無形民俗文化財。Wikiによると、
起源は、鎌倉開府前に、相馬氏の遠祖である平将門が、領内の下総国相馬郡小金原(現在の千葉県松戸市)に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われている。鎌倉幕府成立後はこういった軍事訓練が一切取り締まられたが、この相馬野馬追はあくまで神事という名目でまかり通ったため、脈々と続けられた。
1868年の戊辰戦争で中村藩が明治政府に敗北して廃藩置県により消滅すると、1872年に旧中村藩内の野馬がすべて狩り獲られてしまい、野馬追も消滅した。しかし、原町の相馬太田神社が中心となって野馬追祭の再興を図り、1878年には内務省の許可が得られて野馬追が復活した。祭りのハイライトの甲冑競馬および神旗争奪戦は、戊辰戦争後の祭事である。
震災の年は小高や標葉(浪江や双葉)など警戒区域の影響を受け、規模を縮小して開催(甲冑競馬や神旗争奪戦などが中止)したようですが(約80騎、観客は3日間で延べ37,000人)、翌年にはほぼ例年通りの開催(約400騎、観客は3日間で延べ16万人)、2016年ごろまでには、400騎以上、観客は3日間で延べ20万人を超えるまでに回復したようです。
そして去年、浪江町の居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除されたことにより、浪江の町中は、住民が住めるようになったことから、今年から標葉郷からの出陣が再開される、とのことなので、まずは浪江の標葉郷の出陣式を見てみよう~!
標葉郷の後は、時間的に小高郷の出陣式、お昼過ぎに鹿島の総大将お迎えあたりのコースがいいかな?
8時には始まるとのことなので、とりあえず家を6時40分に出発。
7時半ごろには、中央公園に到着しました。
解除になったとはいえ、帰還する人はまだ少ない浪江ですが、中央公園にはそこそこ人が集まっているようです。
男の武士だけかなーって思っていたら、女性や子供も騎馬にのるのね。
と様子を見ていると小雨に。
傘を差しながらは難しいので、テントの中のから撮るのが精一杯。
そのうち、法螺貝の合図で騎馬行列が始まりました。
昔は沿道にずらーっと並ぶ住民の声援を受けながら行進してたんだろうなー。
ちょっと雨模様で寂しい浪江の町でした。
標葉郷の騎馬56騎。向かうは小高!
さて、この後はどうしよう?
小高の宵乗り行列は10時半からなので小高へ。
9時半ごろに役所の駐車場に停め、橋を渡った先には、騎馬が準備を進めていました。
ん?ここに馬が集まっている、ということは、小高神社はどうなってるんだろー?って見に行くと、おおー、ここでも何かやってるじゃん。
時折、騎馬が境内にやってきては、武士調で「標葉郷から到着しましたー!」らしき報告をしていたので、どうやら橋のたもとにいた騎馬は標葉郷からやってきた人たちで、この境内にいるのが小高郷の人たちかも。
雨がパラパラ降ったり止んだりしている中、境内でも儀式が始まり、法螺貝の合図と伴に、騎馬行列が開始されました。
位の高いだろう武者が氏名を読み上げ、その順番で行列に出発していきます。
小高郷の騎馬に続いて標葉郷の騎馬も一緒に行列しているようでした。
行列の後を追いかけて写真を撮るかどうか迷ったけど、、、傘さしながらカメラは厳しいよなー。
このあと、鹿島の総大将お迎えも傘をさしながらカメラ構えることなりそうだしなー。
明日はどうせ原町で沢山の行列を見ることになるし、なんとなく雰囲気がわかったので、今日はこれで終わりにしました。