アンコールワット近くの店で朝食を食べて、小回りルート観光へ。
889年に即位したヤショーヴァルマン1世(Yasovarman I : 在位 889-910年)は、現在の東バライとアンコール・トムの南半分を含む地域に王都ヤショダラプラを建設した。
その後ヤショダラプラは一旦放棄されるが、944年に即位したラジェンドラヴァルマン2世(Rajendravarman II : 在位 944-968年)は再びアンコールに遷都し、東バライの南にプレループ寺院を建設した。
1006年に即位したスーリヤヴァルマン1世(Suryavarman I : 在位 1010-1050年)は、現在のアンコール・トムとほぼ同じ位置に新王宮と護国寺院ピミアナカスを建て、西バライを建設した。
12世紀後半、ジャヤヴァルマン7世(Jayavarman VII : 在位 1181-1218年)により現在のアンコール・トムが建設されたといわれている。
バイヨン (Bayon) は、カンボジアのアンコール遺跡を形成するヒンドゥー・仏教混交の寺院跡。
アンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤヴァルマン7世(Jayavarman VII : 在位 1181-1218年)がチャンパに対する戦勝を記念して12世紀末ごろから造成に着手したと考えられており、石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると推測されている。
当初は大乗仏教の寺院であったが、後にアンコール王朝にヒンドゥー教が流入すると、寺院全体がヒンドゥー化した。
一番上の階層は2020年から修復中で立入禁止でした。残念。(いつまで修復かかるのか?)
四面像が近くで見れなくて残念。
ま、望遠で撮ることはできるけど。
バプーオン(Baphuon)は1060年頃、ウダヤーディチャヴァルマン2世(Udayadityavarman II : 在位 1050年-1066年)によりヒンドゥー寺院として築かれた。
20世紀には寺院の大部分がほとんど崩壊していたが、1960年に修復が開始された。しかしクメール・ルージュの台頭により1972年に中断され、石材の位置の記録は失われてしまった。
1994年、フランス極東学院 により修復が開始され、2011年に一般訪問者の入場が再開されるようになった。
なるほどー、これまで来たこと無いわけだ。
なお、アンコール・ワットの第三回廊と同様に服装制限があるとのこと。
長い参道が特徴的。
また、15世紀後半に仏教寺院に改められ、その際寺院の裏側にリクライニングブッダを作ったそうです。
ピミアナカス(Phimeanakas)は、アンコール・トムの王宮の周壁内にあるクリアン様式のヒンドゥー教寺院であり、「天上の寺院」、「空中の宮殿」とも称される。
ラジェンドラヴァルマン2世(Rajendravarman II : 在位 944-968年)統治時代の10世紀末に建造され、次いでスーリヤヴァルマン1世(Suryavarman I : 在位 1010-1050年)の統治時代に完成したとされている。
こちらも初めて見る遺跡。(前からあったようだけど)
上に登れなかったので通り過ぎちゃったけど、この裏にある沐浴場には見事なレリーフがあることを後から知りました。今度行くことあったら沐浴場に行ってみよう。
象のテラス(Terrace of the Elephants)は、アンコール・トムの城壁を巡らした都の一部である。テラスは南北にわたってあり、その東面にあるゾウの彫刻にちなんで象のテラスと名付けられた。
テラスは、アンコールの王ジャヤヴァルマン7世(Jayavarman VII : 在位 1181-1218年)により12世紀末に築かれ、凱旋する軍隊を眺望する基壇として使われた。
ライ王のテラス(Terrace of the Leper King, Leper King Terrace)は、カンボジアのアンコール遺跡に属するアンコール・トムの王宮前にある象のテラスのすぐ北側に位置する。
ライ王のテラスは、12世紀末にジャヤヴァルマン7世(Jayavarman VII : 在位 1181-1218年)のもと、バイヨン様式で築かれたもので、一辺が約25メートル、高さは約6メートルであり、そのU字型の構造物は、王族の火葬場のように使われていたとも考えられる。
三島由紀夫の『癩王のテラス』は、1965年に『暁の寺』の執筆取材のためにバンコクを訪れた際にアンコールワット観光にも訪れ、着想を得たそうな。
この狭い場所にあるレリーフはその昔、外壁を拡張するために埋められていたもので1911年に発見され、1994年に修復。
昔見たときはもっとピンクピンクしてたけどだいぶ風化したみたいです。
それにしてもここは被写体と近すぎちゃって撮るのがなかなか大変。
次回は16mmくらいで右側の壁にカメラを寄せて撮ってみよう。
いつもこの埋められた方ばかり見て、現在の外壁の方をちゃんと見てなかったけど、今回もスルーしちゃった。
チャウ・サイ・テヴォーダ(Chau Say Tevoda)は、カンボジアのアンコール遺跡にある寺院。道を挟んだ北側にトマノンがあり、ともにスーリヤヴァルマン2世(Suryavarman II : 在位 1113-1150年)のもと、12世紀前半に構築されたアンコール・ワット様式のヒンドゥー教寺院である。
また、チャウ・サイ・テヴォーダは、2000年から2009年まで中華人民共和国主導の修復事業のもとにあり入場が制限されていたが、2009年末に再開した。
今回シェムリアップに来て思ったのは、すごく明るく活気があること。
その一つが、あちこちの寺院でウェディングフォトを撮影しているカップルが何組もいて、自分たちの明るい未来を信じている若者たちが多いんだろうな~って。
そうそう、この参道を後で見返して思った。
29年前(初めてアンコールワットに行ったとき)、どこで撮ったか分からなかった写真があったけど、参道(左下)の位置の参道はまさしく今、ウェディングフォトを撮っている場所じゃん。
建物自体はほとんど面影ないのは、2000年から2009年まで修復を行っていたから、ということね。
Google Street Viewだとこんな感じ。
後から気づいたので同じアングルで写真撮らなかったけど、次回はこのアングルで写真撮らなきゃ。
トマノン(Thommanon)は、スーリヤヴァルマン2世(Suryavarman II : 在位 1113-1150年)の統治中に建てられたチャウ・サイ・テヴォーダと1対となるヒンドゥー教寺院。
タ・ケウ(Ta Keo)は、10世紀末にジャヤヴァルマン5世(Jayavarman V : 在位 969-1001年)により建設が開始されたが、王の死去により未完成のまま放置されたピラミッド型ヒンドゥー寺院。
タ・プローム(Ta Prohm)は、ジャヤヴァルマン7世(Jayavarman VII : 在位 1181-1218年)によって12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている寺院。
ガジュマルによる浸食が激しく、三重の回廊に覆われた遺跡には樹木が食い込んでおり、タ・プロームの修復を担当しているインドと樹木は遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのかという議論が起こっている。
映画「トゥーム・レイダー」と「トゥー・ブラザーズ」の撮影が行われたことで知られる。
ガジュマルに覆われて独特な雰囲気がある寺院って他にもあるのに、なぜここが人気が集まるのかよくわからない。アンジェリーナ・ジョリーってだけ?
ここも昔と比べていろいろ整備されているようです。
うーん、良いんだか悪いんだか、朽ち果て感が無くなりつつあります。
バンテアイ・クデイ(Banteay Kdei)は、カンボジアのアンコール遺跡における仏教寺院。ジャヤヴァルマン7世(Jayavarman VII : 在位 1181-1218年)の統治中に築かれた。バイヨン様式で、構成はタ・プロームやプリヤ・カーンに似ているが、規模は小さい。
この仏教寺院複合体は、これまで不完全な建設およびその建築に質の悪い砂岩が使われていたために荒廃し、現在修復を受けている。
スラ・スラン(Srah Srang)は、バンテアイ・クデイの東側に位置するバライであり「王の沐浴池」とも称される。
当初はラジェンドラヴァルマン2世(Rajendravarman II : 在位 944-968年)の開教師 Kavindrarimathana の指導により、10世紀中頃に掘られた。その後、1200年ごろジャヤヴァルマン7世(Jayavarman VII : 在位 1181-1218年)によって変更され、またその西側にはラテライトの桟橋が付け加えられた。
ということで今日の小回りルート(Small Circuit)は終了。
久しぶりのアンコール遺跡、改めて思うけど見どころ多すぎ。
スゲー夢中になって歩き回った結果、今日のスマホの歩数計は32,600歩、23.4km。
久しぶりに良く歩いた~。
おまけに撮影に夢中になって、足元のバランスを崩してよろけて背中を痛めたり。
それにしても時間配分考えつつの観光だったので、後半はちょっとバタバタな感じでした。
Ta Prohm観光している時点で3時半。
今日の寺院だけでも結構スルーしちゃっているポイントとかあるので、次回来るとしたらじっくり、
1日目:朝~午前:Angkor Wat
午後:Angkor Thom周辺
2日目:午前:Ta Prohm、Banteay Kdei
午後:Angkor Wat
くらい腰を据えてゆっくり回れたらいいかも。