さて、今回の旅行でマンダレーを選んだ理由の1つはモンユワに行ってみたかったことと、あと1つはシットウェで友達になった女の子、Khin Saw Yuが結婚して子供が生まれたのをきっかけに、ダンナの故郷、マンダレーで生活を始めたとのことなので、子供のお祝いがてら会いに行ってこようと。
ダンナからU Bein Bridgeの近くに住んでいる、というメッセージをもらったけど、さて、どうやって落ち合おうか。
案としてはいくつかあるけど、一番こっちの都合のいい方法といえば、マンダレー郊外の1日ツアーに参加すれば、どうせ夕方にU Bein Bridgeで夕日を見るだろうから、そこで彼らと落ち合えれば、日中の時間も無駄にならないし、わざわざタクシーでU Beinまで出向くコストも必要なくなる、ということ。
そして、その郊外ツアーが宿のフロントで一人16ドルだったこと。
ということで、ホテルのスタッフに
「明日この郊外ツアーに参加したいが、U Bein Brigdeの近くに住んでいる友達と夕食を食べたいので、そこで我が家を落としてもらえないだろうか?ちなみに、彼のケータイ番号は知っているが、自分はケータイが無いので、ホテルから出たら(ツアーに参加したら)彼らと何時ごろにどこで会うか、という調整ができないんだけど」
と相談したら、「だったらツアーのガイドに相談してみるといい。たぶん、調整してくれるよ」とのこと。
ま、明日うまく合うことができなくても、モンユワから帰って来る日もチャンスがあるしね。
ということで、郊外ツアーに参加することにしました。
10年前は車をチャーターして25ドル(ボート、馬車、食事別)。今回はツアーで一人16ドル(ただし食事つき)。
迎えに来てくれたワンボックスに乗り込むと、オーストラリアのカップルが一組。
エアコン付きの車でこれはラクラクだな~。
ということで定番スポットを一巡り。
アマラプラ(Amarapura)
この日はクリスマスで祝日で3連休の最終日。
ということもあるのか、Mahagandhayon Monasteryでは小僧の行列よりカメラを持った観光客の数が多くて、ちょっとなー。
ま、そんな日に観光に出かける我が家も我が家だけど。
サガイン
U Min Thonze Cave Swan Oo Pon Nya Shin Paya
インワ(Inwa)
観光客を待つ馬車の数が、ここ数年の観光客の増加を物語ってるなー
Yatana Sinme Paya Nanmyin watch tower
Nanmyin watch towerは登れなくなっていて、残念。
っちゅーか、こんなにわんさか観光客が押し寄せているので、危険か。。。
Inwaの後はU Bein Bridgeへ。
マンダレー近郊を巡る観光客は、だいたいU Beinの夕日を見て締めくくるので、当然大混雑。
そんな我が家は橋を渡らず、橋の下から夕陽を眺めることにしました。
で、肝心の友人についてはガイドさんが彼とケータイで連絡を取ってくれ、U Beinの入口で待っているらしい。
夕日を見てからU Beinの入口に戻ると、ダンナ(Thant Zawさん)と赤ちゃんを抱いたKhin Saw Yuと無事に合流することができました。
彼はこれまでマンダレーのNGOでPhysiotherapist(理学療法士)として働いていたけど、昨年に独立した、とのこと。
まずはU Bein近くの彼の診療所に案内してくれました。
ヨメの父は柔道整復師だったこともあり、似たような設備がちらほら。
ヨメの実家にまだ機材が多少あったから、そのうち彼のところに持って行ってもいいかな~?
ちなみに、柔道整復師と理学療法士の違いって?
柔道整復師 | 理学療法士 | |
---|---|---|
治療法 | 柔道整復術を用いて、骨折や脱臼、打撲、捻挫などのケガや障害を、自らの手技で治療することができる。 | 運動療法をはじめ、電気刺激や温熱、寒冷、水などの物理療法を用いて事故や病気から生じた身体的な機能障害を治療することができる。 |
診察 | 自ら患者を診察・診断を行い治療を施すことができる。 | 医師の指示により治療を施し、自分で診察や診断することができない。 |
保険の請求 | 健康保険の請求ができる。 | 健康保険の請求ができない。 |
開業 | 整骨院・接骨院を開業することができる。 | 開業権が認められておらず、自分の治療院を持つことはできない。 |
ま、柔道整復師というのは日本独自なんだろうから、ミャンマーでは両方含めて理学療法なのかも。
さて、夕食はマンダレー市内まで行って、エビや魚、イカなどテーブルに乗らないくらいの料理で再会を祝いました。
あり~、そんな豪勢な料理でおもてなししなくていいのにー。
結構気を遣わせちゃったかな~?
Khin Saw Yuと初めて会ったのは、2009年のはじめ。
いつの間にか、女の子からお母さんになっていました。
帰り際、「これは日本の習慣ね」と言って子供の出産祝いと開業祝を兼ねて、ちょっとお金を渡してきました。